男子よ、君たちも大変だったのだね、 停戦調停に入りたくなった、の巻。
男子は放っておけばよい。
これが、私の半生の実感だった。
ところが、ある時、男子に手を差し伸べようと思い始めた。
どうしたのだろう。
私は頭でも打ったのだろうか。新しい感情だ。
思い返せば、それは中学校の時から、だ。
「もう、男子、掃除サボらないで」
「もう、男子、ホウキでエアギターしないで」
もう、男子は放っておこう、と思った。
(注:友達、家族は除く)
違う生物で、違うプログラムで動いているようだ。
理解できない。(当時は理解しようともしなかった)
野郎どもは放っておこう。
それが顕著になったのは、就職活動だ。
共学の大学で、男女とも平等だったのに、
世間は男社会で、就職の差別もあった。
私たち女子は、マイノリティだった、と初めて気づく。
やっぱり、男子は放っておこう。
君たちは、もうスタートラインから違う。
「女子、集合」
私たちでタックを組んで、生きていこう。
この荒波を一緒に越えよう。
あれから幾年月。
同級生のエアギターをしていた男子たちを久しぶりに見た。
あなたたち、大変だったのね。
大変なものを背負っているのだ。
同級生は、プレイングマネージャーで、部下が7人、
土日も働いている。
子どもが小学生二人。
久しぶりに会ったら、ゲッソリとしていた。
自分の時間は、全くない、という。
こんな人、日本中にあふれているだろう。
幸せ、だろうか。
もう、男子、女子、と分けるのはやめよう、と思った。
相手の欠点をあげつらう、不毛な戦いはやめよう。
武装解除、しよう。
女子も大変だが、男子も大変なんだ。
ある時、しみじみと感じた。
中学生のときぐらい、エアギターして掃除をサボっても
よかったのだ、今思えば。
「背負うものが大きすぎて、レールを下りられない」
プレッシャー。
男は泣くな、と言われてきた刷り込み。
私たち女子だけが幸せになる、なんてあり得ない。
男子も幸せに働いて、幸せにならないと。
・・・どうしたのだろう。
やっぱり、私は頭を打ったのだろうか。
いや、大人になって、やっと見えたのだ。
みんなで幸せにならないと。